1980年代後半から1990年代にかけては特に多くのテレビドラマで活躍した俳優の石黒賢さん。
石黒賢さんは知的でクールな役柄から、温かみのある父親役まで幅広く演じられる点が魅力で、日本のエンターテインメント界で長年にわたって支持されています。
そんな石黒賢さんの先祖たちが凄いと噂になっています。
そこで今回の記事では、
- 石黒賢の先祖たちは誰?
- 石黒家が日本の近代化に役立ったこと!
主にこれらについて迫っていきます。
それでは早速本題に入っていきましょう。
石黒賢の先祖たちは誰?
石黒賢さんの家系は400年以上の歴史を持ち、そのルーツをさかのぼると、戦国時代から加賀藩士として活躍した人物にまで遡ります。
石黒賢さんの4代前の先祖にあたる石黒千尋(いしぐろ ちひろ)は、幕末から明治にかけて活躍した国学者です。
千尋は加賀藩に仕え、藩校で教授を務め、日本の古代の文化や精神性を学問的に研究しました。
国学とは、日本固有の思想を深く探究する学問であり、特に仏教や儒教が伝わる以前の日本独自の文化に焦点を当てています。
幕末の時代、尊王攘夷(外国勢力を排除し、天皇を尊ぶ思想)が強まる中、千尋は「鎖国による外国排斥は甚だしき誤り」と批判しました。
彼は、日本にはかつて海外と貿易を通じて豊かになった歴史があると指摘し、鎖国ではなく貿易を通じて国を発展させるべきだと唱えました。
この主張は、開国や海外貿易の可能性を示唆したもので、当時の社会に対して冷静かつ先見的な視点を持っていたことがわかります。
賢は「当たり前ですけど、知らないことばかりで。千尋さんが国学者ということは知っていたんですけど、あんな風に開国に対する考えであるということは…」としみじみ。
引用元:日刊スポーツ
そして、明治時代以降には、日本の近代化に大きな役割を果たした技術者や学者が登場します。
石黒賢さんの曾祖父である石黒五十二(いそじ)は、当時の東京大学の前身である大学南校を卒業し、英国に留学したエリート土木技術者でした。
英国では、現地の大手土木会社で橋の敷設に携わり、その能力が高く評価され、彼の設計した橋のいくつかは現在も現存しています。
帰国後、五十二は内務省で日本初の下水道整備に尽力し、コレラの流行を防ぐなど、日本の衛生環境を改善する基礎を築いた人物として知られています。
さらに、石黒賢さんの祖父・九一(くいち)は電気工学の分野で活躍し、「タービン発電機の父」とも称されました。
彼は京大を卒業後、発電機設計に尽力し、設計主任として関わった発電機が世界一の発電量を記録したこともあり、工学の分野での革新を支えた人物でした。
曾祖父、祖父の活躍に賢は「圧倒されますね。立派過ぎて」と笑顔で感心していた。
引用元:Yahoo!ニュース
石黒家が日本の近代化に役立ったこと!
出典:NHK
石黒家の一族は、技術と知識を駆使して、日本が世界に誇る近代国家としての発展を支えました。
曾祖父の五十二は、英国で土木技術を学んだ後、内務省にて神田下水道の設計に関与し、インフラの基礎を築くことで日本の近代土木の祖としての功績を残しました。
衛生面でのインフラ整備が進んだことにより、感染症の防止や都市生活の向上が進み、当時の急速な都市化に対応できる基盤を作りました。
また、祖父の九一は、電力供給という重要なインフラの中核を担い、世界水準のタービン発電機の設計に関わりました。
彼が生み出した技術は、日本のエネルギー供給を支える上で大きな役割を果たし、近代産業の基盤づくりに大きく貢献しました。
このように、石黒家は土木や電気工学という近代日本の発展に不可欠な分野で活躍しており、その家系の技術者としての進取の気風やフロンティア精神が、石黒賢さんの知的で誠実なキャラクターにも繋がっているのかもしれません。
まとめ
今回は、石黒賢さんの先祖たちは誰?石黒家が日本の近代化に役立ったこと!についてお知らせしました。
石黒賢さんの先祖たちは、日本の近代化を支えた優れた技術者や学者として活躍し、土木や電気工学の分野で革新的な功績を残しました。
彼らの技術力と進取の気質は、現代の日本においてもその重要性を失っていません。
こうした家族の背景を持つ石黒賢さんが、多くの視聴者に親しまれる俳優として、さまざまな役柄に知的で落ち着いた存在感を発揮できる理由も納得できますね。
家族が築いてきた華麗な系譜と、日本の発展に貢献した遺産は、石黒賢さんが俳優としても多くの人々に支持される理由のひとつなのかもしれません。
それでは、ありがとうございました!
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